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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)8780号 判決

原告 三和建設株式会社

右代表者代表取締役 中農誠意

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 木戸弘

同 竹田穣

被告 日本化薬株式会社

右代表者代表取締役 坂野常和

右訴訟代理人弁護士 小坂志磨夫

右訴訟復代理人弁護士 小池豊

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、金八九四万八四四二円及びこれに対する昭和五四年九月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  当事者について

1 原告三和建設株式会社(以下、三和建設という。)は昭和三一年一〇月二日に設立され、肩書地に本店を有し、土木建築工事、宅地造成等を事業目的とする会社であり、承継前の原告陽和建設株式会社(以下、陽和建設という。)は同三四年七月一一日設立され、兵庫県朝来郡生野町口銀谷二一三〇番地に本店を有し土木建築請負等を事業目的とする会社である。

2 被告は、大正五年六月五日設立され、肩書地に本店を有し、火薬類の製造及び販売、染料、顔料、中間物及び工業薬品の製造並びに販売等を目的とする会社である。

(二)  被告福山工場の移転

1 被告は、広島県福山市入船町に、染料等の製造工場(以下福山工場という)を有していたが、昭和三〇年代に入ると右工場から排出されるガス及び汚水等をめぐってしばしば地元住民から苦情がよせられてこれに関連した紛争が惹起し、入船町に隣接する港町に対しては昭和四四年四月締結した港町公害防止協定によって、昭和五三年三月末日までに公害発生源を撤去する旨約していた。これに加えて瀬戸内海環境保全臨時措置法及び広島県排水基準条例の施行に基づいて昭和五一年一一月一日からは更に厳しい公害発生防止のための基準の適用を受けることとなった。

2 そこで、被告は、広島県が福山市箕沖町に造成中の箕島工業団地に新工場を建設、右福山工場を移転することを計画し、昭和四八年一二月、広島県との間で右新工場(以下新工場という)の敷地取得のための土地購入契約を締結したが、所有権移転の登記のためには被告と広島県及び福山市三者間で公害防止協定を締結することが条件となっていた。しかも、右公害防止協定を締結するためには、被告が地元の訴外広島県東部漁業協同組合連合会(以下東部漁連という)と漁業補償について円満に解決しておくことが必要であった。

3 ところが、右新工場の建設に対し、東部漁連では、昭和四八年四月ころ、その代表者多数が、会長甲野太郎(以下甲野という)に率いられて被告本社を訪れ、強硬に抗議するなど、絶対反対の立場を表明していた。

被告と広島県及び福山市との間の前記公害防止協定についても、昭和五〇年七月ころには、右三者の間でほぼ合意ができていたが、東部漁連の反対のため、前記漁業補償の問題が解決せず、なかなか締結するまでに至らなかった。

4 その後、昭和五一年七月二一日、被告と東部漁連のうちの訴外水呑漁業協同組合(以下水呑漁協という)との間で補償金額の合意が一応成立したこともあって、同年九月一四日、右公害防止協定が締結された。

5 しかし、東部漁連のうちの水呑漁協以外の七漁業協同組合との補償問題は依然未解決のままであり、被告は、この解決を上前記甲野と福山市に委ねることになった。

加えて、水呑漁協の補償金についても、同漁協ではその即時受領を拒み、補償問題はなお流動的な状況にあった。

(三)  被告と甲野との約定

1 被告は、前記瀬戸内海環境保全臨時措置法等の適用を免れるためにも、昭和五一年一一月一日までに新工場の建設に着手しなければならなかったが、他方、前記のように東部漁連との補償問題が解決されず、万一、新工場の建設が遅れるという事態に至ったならば、福山工場における操業を短縮し人員を整理する等、福山工場の存廃にも影響しかねない大問題にまで発展する状況となった。

2 そこで、被告は、右状況を打開するため、当時東部漁連の会長として新工場建設に対する東部漁連の姿勢に重大な影響を及ぼしうる立場にあった甲野が間近に予想される次期衆議院議員選挙における広島三区の自由民主党公認候補であることに着目し、昭和五〇年から同五一年にかけて、甲野との間において、被告が、甲野に対し新工場建設総工費約四〇〇億円のうち約三〇〇億円分について建設業者の推せん権及び拒否権を認めてその実質的決定権を授与し、同人が推せん業者から得る工事発注紹介料を同人の選挙資金に充てることの代償として、同人は東部漁連傘下の組合に根回しをして漁業補償額の削減と新工場建設の促進が図られるよう協力する旨の約定(以下本件約定という)を結んだ。

(四)  被告が工事の発注を約束したことについて

1 昭和五一年七月ころ、原告三和建設の代表取締役である中農誠意(以下、中農という。)及び陽和建設の当時の代表取締役である藤原進(以下、藤原という)は、知人の紹介で福山市内の甲野事務所において甲野と面談したところ、甲野は右両名に対し、被告に新工場移転建設計画があること、及び被告・甲野間に本件約定が成立していることを告げたうえ、右約定に基づき約三〇〇億円の建設工事のうち約二〇億相当の工事を原告三和建設及び陽和建設(以下原告らという)と二部上場の会社とで構成する共同企業体に発注するよう被告に取り計らうから、右工事発注紹介料として金一三〇〇万円を支払うよう要求した。

2 昭和五一年九月一五日、甲野は右甲野事務所において中農及び藤原(以下原告ら代表者という)同席のところで、当時の被告代表取締役社長である近藤潤三(以下近藤という)に電話をかけ、同年九月二〇日に甲野が原告ら代表者を同道して近藤と面談する旨の約束を取り付けた。

当時、被告は、新工場を建設するについて、前記のとおり漁民連の反対に遭ってその対策に苦慮しており、かつ甲野との間に本件約定もあることから、甲野による建設業者の推せんを拒否しえない状況にあったのであるが、そのような状況を認識していた原告ら代表者は、右面談の約束ができたことで原告らが工事を受注できることになるものと確信し、同日、甲野に対し、前記発注紹介料の内金として金五〇〇万円を小切手で支払った。

3 その後、原告らが訴外南海建設株式会社(以下南海建設という)と共同企業体を構成した後、昭和五一年九月二〇日、原告ら代表者及び南海建設会長西田義郎(以下西田という)は、甲野とともに、被告本社を訪れ、前記近藤及び被告顧問久須美良平(以下久須美という)と面談した。

4 右席上、原告ら代表者は、右近藤及び久須美に対し、被告・甲野間の本件約定に基づき甲野から新工場建設についての二〇億円分の工事の発注紹介料として金一三〇〇万円を要求され、すでに金五〇〇万円を支払ずみである旨説明し、真実右二〇億円分の工事を発注してくれるかどうかの確認を求めたところ、近藤らは、原告ら代表者に対し、約二〇億円相当の工事の発注を確約した。

5 その際、近藤は、原告ら代表者に対し、工事発注時期は昭和五一年一二月ないし翌五二年一月頃となるが、甲野が漁業補償の調印に早く応じてくれれば右工事発注も早期に実現する、また右工事に関する図面ができ次第これを原告らに交付する、今後は南海建設大阪本社に連絡する旨明言した。

6 原告ら代表者は、近藤らから右工事発注の確約を得たので、同日、甲野に対し、前記要求にかかる工事発注紹介料の残金として、金八〇〇万円を(五〇〇万円を小切手で、三〇〇万円を現金で)支払った。

(五)  共同企業体から南海建設を除外したことについて

1 昭和五二年一〇月八日、甲野は原告ら代表者に対し、南海建設を共同企業体から除外して原告らのみに対して約二〇億相当の工事全部を発注するよう被告に取り計らうから、工事の発注紹介料としてさらに五〇〇万円を支払うよう要求し、右南海建設を除外することについては被告も了解ずみである旨申し入れてきた。

2 甲野は右申入れとともに、原告ら代表者の面前において、前記近藤に電話をかけ、南海建設を共同企業体から除外して原告らのみに対し約二〇億相当の工事を発注することについて原告ら代表者を同道して近藤と面談したい旨を伝え、同月一九日に被告本社において面談する旨の約束を取り付けた。

3 甲野は、右約束を取り付けた後、原告ら代表者に対し、早く右発注紹介料の追加分金五〇〇万円を支払ってほしい旨要求したので、原告ら代表者は、前記(四)、2に述べたと同様の事情で右面談の約束が成立したことによって、原告らだけで工事が受注できることになるものと確信し、原告三和建設において甲野振出の額面五〇〇万円の約束手形に裏書をし、これをもって金融機関から手形貸付の方法で融資を受けその金員を甲野に交付することとし、同月一一日、姫路信用金庫から金四八九万六八八五円の貸付を受け、同日、これを、右工事発注紹介料追加分として、甲野に交付した。

4 昭和五二年一〇月一九日、原告ら代表者は、甲野とともに、被告本社において、前記近藤及び久須美と再度面談した。

右席上、原告ら代表者は、近藤に対し、「南海建設を除外した原告らのみに対し二〇億相当の建設工事の発注紹介料として、甲野から金一八〇〇万円を請求され、すでに支払ずみであるので、右発注が実現されないと原告らが大変困る。」旨述べて、右発注の有無を確認したところ、近藤らは、原告ら代表者に対し、右発注を確約し、また、近藤は、右発注時期については、漁業補償問題、社内の意見調整で若干遅れているが間近である旨明言し、さらに、甲野からの「原告らから金一八〇〇万円の工事発注紹介料を得ているので、原告らに対しては利益率のよい工事を発注するよう。」との申入れに対しても、十分配慮する旨確約した。

5 右のとおり、近藤らによって被告から原告らに対する二〇億円分の工事の発注が再度確約されたので、原告らは、その後、前記姫路信用金庫からの原告三和建設に対する融資額全額を右姫路信用金庫に返済した。

(六)  甲野の逮捕と被告の一方的な発注破棄について

1 甲野は、昭和五一年一二月五日に行なわれた第三四回衆議院議員選挙に広島三区から自由民主党公認で立候補したが、次点で落選し、その後、昭和五二年一一月三〇日、恐喝、詐欺の容疑により、広島県警から逮捕された。

すると、被告は、甲野との間の本件約定が露見することによって、被告の社会的信用に疵が付き、漁業補償問題が再燃することを虞れて、昭和五三年二月九日、原告らに対する再度にわたる前記確約に違反して、原告ら代表者に対し新工場建設に関する約二〇億円の工事を、原告らには発注しない旨一方的に申し入れてきた。

2 原告ら代表者が甲野に交付した前記各金員(昭和五一年九月一五日金五〇〇万円、同月二〇日金八〇〇万円、昭和五二年一〇月一一日金四八九万六八八五円、以上合計金一七八九万六八八五円)については、原告らの間において、これを折半で負担する旨の合意があった。

(七)  結語

原告らと被告との間で生じた前記工事発注の確約に基づく関係は、期待権ないし期待権類似の法的に保護されるべきものというべく、正当な理由がないのに前記のとおり確約していた発注を一方的に破棄するのは信義則上許されないところ、被告は原告らが甲野に対し、金一七八九万六八八五円を支払ずみであり右発注がなされなければ、原告らが右金一七八九万六八八五円の損害を被ることを認識していたにもかかわらず正当な理由もなく、右発注の確約を破棄し、よって原告らに対し、それぞれ金八九四万八四四二円の損害を与えたものである。

よって、原告らは、被告に対し、不法行為に基づき、各自金八九四万八四四二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年九月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)について

1 1ないし4の事実は認める。

2 5の事実を否認する。

すなわち、被告に対して、水呑漁協からは海苔の養殖が事実上出来なくなることによる消滅補償が、他の七漁業協同組合(以下七漁協という)からは影響補償と称する要求がなされていたが、影響補償の額は、消滅補償の額の一割程度という過去の慣例に従う旨の合意が当事者間で成立していたため、右水呑漁協に対する補償問題が解決したことに伴い、他の七漁協に対する補償問題も、昭和五一年九月以前に、事実上解決していたものである。ただ、その補償の時期や方法が未定であったため、それら実務上の問題を、被告は福山市の指導の下に、東部漁連会長である甲野との間で処理していくこととなっていたに過ぎなかったのである。

(三)  請求原因(三)について

1 1の事実のうち、被告が昭和五一年一一月一日までに新工場建設に着手する必要があったことは認めるが、その余は否認する。

すなわち、東部漁連との補償問題は、昭和五一年九月以前に、事実上解決しており、従って、被告福山工場の存続にも影響しかねない大問題にまで発展する状況ではなかったのである。

2 2の事実のうち、甲野が次期衆議院議員選挙における広島三区の自由民主党公認候補であったことは認めるが、その余の事実は全て否認する。

(四)  請求原因(四)について

1 1の事実は不知。

2 2の前段の事実のうち、当時の被告代表取締役社長である近藤が甲野に対し昭和五一年九月二〇日に同人と会うことを承諾したことは認めるが、その際に甲野から原告ら代表者を同道する旨予め告げられていたとの点については否認する。甲野が電話をかけた日時、及びその場所に原告ら代表者が同席していたことについては不知。

同後段の事実のうち、原告らが甲野に対し金五〇〇万円を支払ったことは不知、その余は全て争う。

3 3の事実のうち、原告らが南海建設と共同企業体を構成したことは不知、昭和五一年九月二〇日、原告ら代表者及び西田が、甲野とともに、被告本社を訪れ、近藤と面談したことは認めるが、久須美が同席したことは否認する。

4 4、5の各事実をいずれも否認する。

5 6の事実については不知。

(五)  請求原因(五)について

1 1の事実は不知。

2 2の事実のうち、近藤が昭和五二年一〇月一九日甲野と会うことを承諾したことは認めるが、その余の事実を全て否認する。

3 3の事実は不知。

4 4の前段の事実を認め、後段の事実を否認する。

5 5の事実のうち、近藤らが原告に対する二〇億円分の工事の発注を確約したとの点を否認し、その余は不知。

(六)  請求原因(六)について

1 前段の事実は認めるが、後段の事実については否認する。被告は、発注の破棄を申し入れたのではなく、もともと発注の確約自体が存在しない旨を申し述べたものである。

2 2の事実については不知。

(七)  請求原因(七)を争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因(一)(当事者の業務内容)及び(二)の1ないし4(被告福山工場の箕島工業団地への移転)及びこれにともなう東部漁連との漁業補償交渉及び水呑漁協との間の補償金額の合意の成立等の事実は、当事者間に争いがない。

二  被告は水呑漁協との間で補償金額について一応の合意が成立したことで、東部漁連傘下の各漁業組合との補償問題も事実上解決していたと主張する。

なるほど、《証拠省略》によると、東部漁連傘下の漁協で水呑漁協以外の七漁協への、被告工場の箕島工業団地への移転によって漁業が被る影響に対する補償、いわゆる影響補償の額は、水呑漁協への海苔・魚介等の養殖が全然出来なくなることへの補償、いわゆる消滅補償の額のほぼ一割とする旨の合意が関係者の間では出来ていたことが認められ、水呑漁協に対する補償額についての合意が昭和五一年七月二一日に成立したことについては当事者間に争いがないのであるが、しかし、一方、《証拠省略》によると、水呑漁協に対する補償の額を金三億円とすることで右の合意が成立した後においても、なお増額の要求が出されており、昭和五三年三月実際に支払われたときにはその金額が三億二、〇〇〇万円に増額されていたこと、及び被告はそのころ七漁協に対する補償問題の処理を、福山市と東部漁連の組合長をしていた甲野とに委ねていたことが、それぞれ認められ、公害防止協定が締結され、被告福山工場の箕島工業団地へ移転することについての障害が除かれたと考えられる昭和五一年九月一四日の時点でも、被告の東部漁連に対する補償問題には未解決の要素を多く残していたものと推認できる。

而うして、被告が瀬戸内海環境保全臨時措置法等の適用の関係から、昭和五一年一一月一日までに新工場の建設に着手する必要があったことについては当事者間に争いがないことからすると、東部漁連との補償問題の解決は、新工場建設の遅延が福山工場の存廃に影響を及ぼすことであったかどうかはさて措いて、被告にとって緊要な課題であったと考えられる。

三  そこで、原告らは東部漁連との補償問題の解決促進のために、被告との間で本件約定(請求原因三、2)を締結した旨主張する。

証人甲野は、原告らの右主張に沿って、「甲野が、近藤に対し、『新工場建設については、自分の推せんする業者、少なくとも自分が政治的援助を受けている業者に仕事をやらせてほしい。』と頼んだところ、近藤は、『仕事はやらせるが、一部上場会社に限定したい。値段の決定は近藤にまかせてくれ。』と言った。また、『政治的に甲野のグループでない者にやらせては困る。』との言に対し、近藤は、『十分考える。』と答えた。さらに、その後、近藤は、一部上場会社に準じた会社でもよいと譲歩した。従って、業者の選定については、甲野に拒否権ないし決定的主導権が与えられた。」旨供述する。

しかも、《証拠省略》によると、甲野が政治献金を受け容れるための団体として設立した瀬戸内海公害研究所に対し被告は調査費の名目で金一、三〇〇万円を支払っていたこと、近藤は昭和五〇年一〇月ころから昭和五二年一〇月ごろに至るまでの間に、甲野が同道してきた原告らを含めた四〇社以上の大小の建設業者の代表者若しくは役員と被告本社で応接し、面会を拒んだことは一度もなかったことが認められ、《証拠省略》によると、甲野の言動は横柄な感じを与えるものであったにもかかわらず、近藤の態度は鄭重そのものであったというのであるから、現在の企業社会における被告の立場と、その社長である近藤の社会的威信を考えると、これは異例なことであったといわねばならず、当時の被告が東部漁連との関係を調整するのにいかに苦慮しており、東部漁連を代表する甲野の意向に出来るだけ沿おうとしていた事情を窺い知ることができる。

而うして甲野が次期衆議院議員選挙における自由民主党公認候補であった事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、甲野の選挙運動を被告の従業員も応援していたことが認められ、甲野の当選を被告も望んでいたことは明らかである。

然しながら、原告らが主張するような約定は、被告が企業の自主性を放棄するのに等しいのであるから、特段の事情がない限り締結されるものではない。そして、本件約定が結ばれるに至った事情というのは、右認定のとおりであるが、東部漁連と被告との補償交渉が最終的に結着するのは漁民達の意思によることであり、甲野が東部漁連に対してどのような影響力をもっていようと、同人の一存で全てが決まるなどということはありえず、被告が同人の意向をできるだけ尊重しようとしていたにしても、そこには自から限度があったはずであることを考えると、これらの事情はいずれも右の特段の事情とは認め難い。原告らの主張に沿う前記甲野の証言中の近藤の応答については、仮にそのとおり述べていたとしても、近藤が甲野に対し儀礼的な遣り取りを越えて言質をとられぬように配慮していたことが窺われるのであり、せいぜい、価格の折り合いがつけば発注を考えてもよいといった趣旨を述べていたに過ぎないと解する余地(証人近藤が、本件約定の存在を否定し、「昭和五〇年ころ、甲野から近藤に対し『自分の知っている業者を推せんするから、見積参加ができるようにしてほしい』旨の申出があったが、他に特別の希望はなかった。」旨証言していること参照)があることからすると、右証言だけでは本件約定があったことを認定することは到底出来ないのであり、他にこれを認定するに足りる証拠はない。

四  ところで、原告らの主張は、要するに、契約準備の段階に入ったものは一般市民間における関係と異なり、信義則の支配する緊密な関係にたつのであるから、のちに契約が締結されたか否かを問わず、相互に相手方の財産を害しない信義則上の義務を負うというべきで、これに違反して相手方に損害を及ぼしたときには、契約締結に至らない場合でも損害賠償の義務を負わねばならない旨の、いわゆる契約締結上の過失を主張していると解せられる。

そこで、原告らと被告との間が、契約準備段階に入ったと評価し得る程の緊密な関係にあったかどうかであるが、原告らは被告が新工場の移転工事のうち、二〇億円相当分の工事を、当初は原告らと南海建設とで構成する共同企業体(請求原因(四))に、後には原告らのみで構成する共同企業体(請求原因(五))に発注することを約していた旨主張する。

《証拠省略》を総合すると、次のような事実が認められる。

1  昭和五一年七月五日ごろ、中農、藤原は、甲野の意を受けた工事ブローカーの村上某から、「被告が箕島に進出するには漁業補償の問題を解決しておくことが是非とも必要であるが、その解決のために被告は甲野との間で本件約定を結んだので、新工場建設工事のうち二〇〇億円相当の工事が甲野の自由になる。甲野に一、〇〇〇万円、自分にも二〇〇万円支払ってくれるならば、原告らに二〇億円相当の工事をやらせるがどうか。工事は原告らが一部上場の建設会社をメインとする共同企業体を構成して行なうことになる」という趣旨の話を持ち込まれ、甲野の推せんによって姫路市内の堅実な建設会社として知られている神崎組と井上組も受注している旨の風評を既に聞いていたこともあって、甲野に確かめてその話が本当であれば、自分達も工事を受注したいと考え、メインとして大阪証券二部上場の南海建設を予定し、昭和五一年九月九日南海建設神戸支店において会長の西田義郎と会ってメインとなることの承諾を得たうえで、原告三和建設と陽和建設とでそれぞれ二五〇万円を支出した五〇〇万円の小切手を持参して、同月一五日福山市内の甲野事務所に赴いたこと。

2  中農と藤原は、当初、半信半疑でいたものの甲野と面談し、同人から直接に「自分が漁業補償を取りまとめることが出来ないと、被告福山工場は閉鎖しなくてはならなくなる。閉鎖ということになると退職金だけで七〇億円も被告はいることになる。」とか、本件の約定の存在を前提にした「被告から政治献金を貰う代わりに、二二〇億円分の工事について業者を推せんしたり、拒否したりする権利を認められた」旨の説明を受け、或いは、予て建設業者の間で評判になっていた護岸工事を五洋建設から大成建設に変更させたのは甲野の力であるというのは本当かと質したことについてもこれを肯定する答えを聞き、その風貌と相まって次第に甲野を信用するようになり、更に上京して被告の社長と会って確約を得たいという要望についても、甲野が直ちにこれを承諾して、その場で、被告本社との電話による打ち合せによって、被告社長と面会出来る日を同月二〇日と決めたのを見聞して、いわゆる有力者が場合によっては非常な力を示すことがあるという自からの経験に照らして、甲野の推せんを得られれば二〇億円の受注がほぼ出来るものと考えて、持参した五〇〇万円の小切手を甲野に渡したこと。

3  昭和五一年九月二〇日、中農と藤原が約束の時間に指定された帝国ホテルに甲野を訪ねると、南海建設の西田はすでに来ており、出迎えた甲野は、早朝被告の近藤社長の私宅に行って原告らのことを頼んできた(但し、近藤はその証言のなかで、この事実を否定している。)旨述べたうえで、直ちに、中農、藤原、西田を同道して東京海上のビルの被告本社に近藤社長を訪ねた。被告の社長応接室に通されると、そこに近藤が居りそこで甲野が一同を近藤に紹介し、「新工場建設工事について原告ら及び南海建設を推せんするので、将来注文を出してやってほしい。金の無心も言っているのでよろしく」といった趣旨のことを、中農が「甲野が仕事をくれるというので、金を支払うのだけれど仕事は本当に貰えるのか」といった趣旨(但し、中農はその供述において二〇億円の仕事と一、〇〇〇万円という金額を指摘したというのであるが、証拠上はっきりしない。)のことをそれぞれ述べると、近藤からは「工事の発注時期は昭和五一年一二月か五二年一月ころになる。いずれ誰かに工事をしてもらわなければならないから、その折には勉強してほしい。今後の連絡は南海建設の方へする」旨の応答があった。

中農と藤原は、右の近藤の答えを聞いて、自分達に被告から二〇億円相当の工事の発注があるものと確信して、被告本社から帝国ホテルの甲野の事務所に戻ると、甲野に対し小切手で五〇〇万円、現金で三〇〇万円を渡した。

4  その後、原告らは被告からの連絡を待っていたが、何もないままに推移するうち、昭和五二年九月ごろになって、工事ブローカーの前田某から甲野の意向として「南海建設をメインからはずし、原告三和建設と陽和建設の共同企業体に発注することについて被告の同意を得ることが出来たから五〇〇万円を出してくれないか」という要望が伝えられ、中農と藤原は結局このときにも、被告社長に会わせてくれるならということで了解し、同年一〇月八日、甲野が姫路市内のホテルから被告との電話連絡によって、同月一九日を被告社長と面談する日とする旨の約定を取り付けたのを見聞して、甲野が被告の了解を得たというのは間違いないものと確信して請求原因(五)3のとおりの経緯で金四八九万六、八八五円を甲野に渡した。

一〇月一九日甲野が中農、藤原を同道して被告本社に赴くと応接間に案内され、そこで近藤と顧問の久須美と面談し、その席上、甲野からは「南海建設を外して原告らのみに工事をやらせてほしい。原告らには利益率の良い仕事をやらせてくれ」といった趣旨(二〇億という数字を指摘したかどうか証拠上はっきりしない。)の発言が、中農からは「甲野に金員を渡しているから、工事の発注をよろしく」といった趣旨の発言がそれぞれなされたのに対し、近藤からは「わかりました」といった趣旨の応答があった。

以上のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

そこで、右認定した事実に照らして、被告の社長であった近藤が工事の発注を約束していたかどうかについて考えてみるに、原告らが近藤の言動から、すなわち、甲野、中農の発言を否定せず、むしろこれに沿った応答を聞いて、原告らが被告から二〇億円相当分の工事の発注の確約を得たと考えたことも一応無理ではないといえないこともないが、それは本件約定が存在し、甲野に関して原告ら代表者が聞いた風評が真実そのとおりであったならばということを前提にしてのことである。しかし本件約定が存在したとは認められないこと、既に判示したとおりであるし、甲野の力によって神崎組や井上組が被告から工事を受注したとか、大成建設が護岸工事を行なったことを認めるに足りる証拠はない。

一方、《証拠省略》によると、「被告福山工場を箕島工業団地へ移転する工事については、折からの石油ショック後の不況もあって、多数の自せん他せんがあったが、近藤若しくは久須美が建築土木業者と会ったときには、被告本社で工事関係の窓口となっていた工務部へその旨伝えることにしていたこと、移転工事は一期と二期とに分かれ、一期は主として工場及びその設備の移転工事であるが、発注は一期を一次から五次までに分けて行なわれ、一次工事は予算が三〇億円、工期が昭和五二年二月末から同年末ごろまでで、二次工事は約三〇億円の規模で昭和五三年秋ごろからの施行を目指していたものであること、原告ら代表者が第一回目に近藤と会った昭和五一年九月二〇日は一次工事の発注もなされていないときであり、第二回目の昭和五二年一〇月一九日は一次工事が進行中であって、その発注は全て完了していたが、二次工事については発注にもまだ間があったこと、被告の発注は業者を指定してその間で価格を競わせる指名競争入札を原則とし、複数の業者に見積りを提出させるが価格のほかに他の事情をも考慮して受注者を決める見積り合は、指名入札だと結果として大手業者が受注することになるので、地元の業者にも受注させるために例外的に行なう方法で工事の規模が小さい、工務部の現地出張所が即決できるものに限られていたこと、しかも、業者の立場からすると、そのいずれであれ被告の指定業者いわゆる出入業者になるためには紹介を受けてから、その後幾度となく工務部に出頭し、被告の信用を得なければならなかったことが認められ、こうした事情があったことから、近藤としては同人の証言によると、甲野が原告ら代表者を同行してきたのは被告の指定業者にしてくれという趣旨で来ているのだと理解し、その前提で応対していたことが認められる。

そうすると、近藤と原告ら代表者との間に右に認定したとおりの遣り取りがあって、近藤が甲野あるいは中農の云っていることに対して特に反論を加えなかったのも、被告に直接係わることではないからと解すれば首肯できるのであり、近藤の応答から、近藤が原告らに対し発注を約したと解することは出来ない。翻って考えると原告ら代表者が、被告の代表者とはいえ近藤に一度会っただけで、原告らの施行能力を一切検討しないで、被告から二〇億円もの工事を競争によらない方法で受注出来ると考えたこと自体が軽率の謗りを免れないともいえる。(《証拠省略》によると、昭和五二年九月一四日甲野から西田に対し「南海建設が五〇〇万円出してくれたならば南海建設へ単独発注する」旨の申し入れがあった際、西田が「契約をした時点なら考えるが今は金を出す意思はない」旨答えた事実が認められ、西田においては近藤との面談によって発注が確約されたなどとは考えていなかったこと参照)

以上のとおりとすると、原告らと被告との間には、信義則上契約準備段階に入ったと評価し得る程の関係にあったとは到底認めることができないので原告らには、原告ら主張のような期待権ないし期待権類似の法的に保護されるべき状態にあったということはできず、従って、その侵害ということも考えられないのであり、不法行為の成立する余地はないものといわざるをえない。

五  結語

よって、原告らの本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 畔柳正義)

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